日本がかつてアメリカと戦争をしたことを知らない人がいます。日本銀行のマイナス金利政策のせいで銀行預金が目減りすると心配する人がいます。前者は高校を卒業するまでに日本史を勉強していれば常識です。後者は新聞を読んでいれば今すぐ心配する必要ないと分かるはずです。
教養についての基準を高校までの教科書の記述や日々の新聞の記事を1つの目安にしていいのではないかと私は考えます。では教養があるとなぜいいのか。『新明解国語辞典第5版』がまさしく明解に教養の重要性をこう述べています。「文化に関する、広い知識を身につけることによって養われる心の豊かさ・たしなみ」。さすが『新明解』、うまいこと言いますね。
教養は「心の豊かさ」なのです。「心が貧しい人と豊かな人のどちらがいいか」という二者選択の質問をすれば、よほどのへそ曲がりでない限り大半の人が「心の豊かな人がいい」と答えるのではないでしょうか。「いや俺は心の貧しい人が好きだ」などと悪態をつく人は、ここから先を読まなくてけっこうです(笑い)。
元外交官の佐藤優さんはメルマガで勉強法について「重要なのは、入門、初級、中級、上級に学習段階を区分することです。問題意識だけが先行し、入門、初級段階の知識も怪しいのに専門書を読んでも、理解できないので力は絶対につきません」と指摘します。教科書や新聞は佐藤さんが言う入門や初級レベルに相当する内容です。このレベルをしっかり押さえておくことがはじめの一歩なのです。
そもそも教養はなぜ必要なのか。人と深く交流する道具として使えますし、仕事で役立つことがあります。人から馬鹿にされずに済むこともあるでしょう。
個人的な話をします。数年前のことです。広島市内の70代の男性のご自宅に仕事で訪ねました。銀行の重役を務めた聡明な人でした。何の拍子か原爆の話になり、沖縄戦の話になり、聖書の話になりました。私は『はだしのゲン』の著者である中沢啓治さんにお目にかかったことや沖縄戦記録フイルム1フィート運動の会でボランティアをしたことを話したほか、拙いながらも知っている知識の断片をつなぎ合わせて聖書の話にもついていきました。
するとその男性は突然自分の被爆体験を私に話しはじめたのです。50年連れ添ったという奥様が横で「今まで一度も聞いたことがない」と驚いています。なぜ男性は私に話してくださったのか。あくまでも推測ですが、私とのやりとりを通して、「話すに値するレベルの最低限の教養がこいつにはある」と判断してくださったからだろうと思っています。以来この男性とは親しくお付き合いをさせていただいています。戦争や平和に対する知識や考えをきちんと持っていたことが、人間関係を広げてくれました。もし私が単に相づちを打つだけだったら、あるいはトンチンカンな返事をしていれば、この男性は自分の辛い経験を私に話す気にならなかったでしょう。教養が人と人を繋いでくれた実例です。
ビジネスの現場でも教養が役に立たないわけがないのです。教養がない人は教養がある人から対等に見てもらえないだけなのです。恐ろしいことだと思いませんか。
私はもう高校までの教科書は完全に分かっているし新聞記事も全て理解できているという人はその上を目指せばいいのです。佐藤優さんは外国語の学習に必要な時間として「入門 100~200時間(大学の単位取得)」「初級 300~500時間(大学院入試レベル)」「中級 300時間(英検準1級、TOEFL iBT 95~100)」と述べています。法学や経済学、政治学、社会学、哲学については「入門 50~100時間(大学の単位取得)」「初級 100~200時間(大学院入試レベル)」「中級 200~300時間(国家公務員総合職、司法試験、外務省専門職員採用試験レベル)としています。教養としての数学については「入門 100~200時間(中学生レベル)」「初級 200~600時間(高校生レベル)」「中級 500~1000時間(工学部、経済数学の授業についていけるレベル)」だそうです。上は天井がないのです。
教養の習得を高校までの教科書と新聞の記事から始めてみませんか。