平成が始まる1989年時点で都市銀行は13行を数えました。当時の時価総額の順で並べると住友・富士・第一勧業・三菱・三和・三井・東海・太陽神戸・東京・大和・協和・埼玉・北海道拓殖となりました。
1990年に三井と太陽神戸が合併しさくら銀行と改称し、1991年に大和と埼玉が合併しあさひ銀行と改称します。この時期の合併は都市銀行下位行による金利自由化への備えでした。1991年バブル崩壊後に不良債権問題が長引き銀行経営に暗雲が立ち込めました。1996年に唯一の外国為替銀行であった東京銀行は三菱銀行との合併に踏み切り、市場に大きな反響をもたらしました。
1997年11月17日に北海道拓殖銀行は巨額の不良債権を抱えて経営破綻し、翌週24日には山一証券が自主廃業を発表し、その後も金融機関の破綻に関する噂が相次ぎ、窓口に預金者や契約者が殺到する異常事態に陥りました。
さて、不良債権にある程度目途がたつと合従連衡が相次ぎました。2000年9月に富士銀行と第一勧業銀行と日本興業銀行の3行による大合併によるみずほホールディングス(現在はみずほフィナンシャルグループ)が発足し、世間に大激震が走りました。長年に渡りトップ争いを重ねてきた富士と第一勧銀との組合せは予想だにしませんでした。
2001年に住友銀行とさくら銀行が合併して三井住友銀行が発足しました。翌2002年には三和と東海が合併してUFJ銀行が発足しました。2003年に大和銀行とあさひ銀行とが合併してりそな銀行が発足しました。唯一の信託併営銀行で大阪本社の大和銀行は、埼玉県を拠点とする埼玉銀行と協和銀行にとって補完関係であったことが大きかったでしょう。最後は、2006年に東京三菱銀行にUFJ銀行が合併して三菱東京UFJ銀行(現在は三菱UFJ銀行)として発足しました。
当職が在職していた外資系金融機関は、基本的に邦銀出身の方々の混成部隊で、住友・富士・三菱・東京・協和OBの方々でした。都市銀行マンはそれぞれ強烈なカラーがありましたので、その融合には相当な労力を要したものと推察されます。
≪鹿児島市電≫
運転系統は2系統で営業キロ13.1キロに及びます。軌道間1435mで保有車両は65両を数えます。「かごでん」101号と501号(昭和30年3月製)の2両のスーパースターとの面会は叶いませんでした。しかしながら約2時間の撮影時間にも拘らず、月曜日の朝は600形が相次いで出庫しかつ貸切専用車両が2日間それぞれ出動して濃密な撮影行を楽しめました。