40年前のカシオ計算機の本社は、新宿住友ビルにありました。エレベータは8フロアごとに区切られ、33階から40階までの各階にダイキン工業、CSK、日本マクドナルド、カシオ計算機が入居していました。どちらも知名度の高い企業ですが、40年後の姿は大きく変化しています。今振り返ると個性豊かな企業が見事に揃ったものであると不思議に思います。
【ダイキン工業(6367)】
本社は大阪の空調機専業メーカーで、新宿事業所は東京事業所としての位置づけです。歴史は古く戦前1936年には国内初の電車冷房が開始されたそうです。新宿住友ビル時代の1980年代は業務用のみであったので知名度も低く、企業情報を調べることもありませんでした。1999年に世界初の湿度制御技術を搭載したルームエアコンうるるとさららは、家庭向け商品として爆発的な売上を達成しました。一方で海外の空調機メーカーを着実に買収し、海外向け売上高は90%を超える国際企業へ発展しました。30年間で企業規模は約13倍に膨らみ、売上高4兆円世界一の空調機メーカーに躍進しました。
【CSK(9719)】
コンピューターサービス株式会社は、大川功氏により1968年に設立された日本のシステムインテグレーター(エンジニアの人材派遣会社)の草分けです。1985年には東証一部に業界初の上場を果たし、1987年に株式会社CSKに商号を変更しました。社員に大川語録を朝礼で唱えさせて経営方針を徹底させる独特の企業文化は当時から広く知られて、「大川教」とも呼ばれていました。大川氏の強力なリーダーシップにより成長を遂げ、84年にはゲーム会社セガエンタープライズを買収し、98年にはアスキーを子会社化して30数社を傘下に持つIT関連企業グループを形成しました。病気により大川氏は社長在任のまま2001年春に逝去されました。その後、不動産事業に舵を切ることにより迷走状態に陥り、2011年に住商情報システムに吸収合併されてSCSKに社名変更して現在に至っています。
【日本マクドナルド(2702)】
藤田田氏は1971年に銀座で日本初のマクドナルドを開店させ、ファストフードの礎を築きました。偶然エレベータで何度のご一緒させていただき、20代の若造はそのオーラの強さに圧倒されたものでした。ハンバーガー大学の設立や社員による積極的なFC展開という料理飲食店業界に新しい仕組みをもたらすことにより大学卒を大量に採用する新しい枠組みを構築しました。藤田田氏は1989年には日本トイザらスを設立し、ファミリー向けのショッピングの選択肢を増やしました。マックとトイザらスとが隣接する店舗は、子供たちにとって垂涎の的でした。1991年には米国レンタルビデオチェーンのブロックバスターの日本法人も展開しました。2000年以降は、平日半額セールなどの新戦略を展開しましたが、その後価格政策が迷走して2001年に創業以来初の赤字に転落しました。藤田氏自身は2003年にCEOを辞任し、日本マクドナルド自体も脱創業者という新しい時代を迎えることとなりました。
【カシオ計算機(6952)】
1982年のカシオ計算機は、売上目標を3000億円とし、電卓、時計、楽器、システム機器を製品群とする企業でした。まだ、売上至上主義からようやく管理面強化にも注力し始めた時期で、1年生でも改善すべき事項があれば積極的にその提案を取り入れてくれる風土でした。既にGショックは発売されていましたが、まだ注目されることはありませんでした。画一的なデジタル時計は販売減少によりデザイン重視のアナログ時計への移行を模索していた時期でした。その後、想定外のGショックブームの到来により時計メーカーとして成長を遂げ、セイコーやシチズン時計を凌駕する事業規模に達しました。しかしながら、売上高は40年前の目標3000億円に達しておりません。これは時計に次ぐ事業の柱の構築が出来なかったことに起因します。一昨年にようやく創業家以外からの社長が誕生し、第二の創業期へと移行しています。
≪指宿枕崎線≫鹿児島から最南端の枕崎を結びます。訪問時は豪雨直後で、強風のため運休が多い日々でした。名峰開聞岳も雲に隠れています。ただ、細かく見ていくと無人駅にも個性があって興味深いです。