産業史を辿ると紆余曲折に満ちた行程が見えます。私は昭和58年(1983年)に某電機メーカーに経理マンとして入社しました。営業・事務系の同期は80余人で、うち5名は2つの新製品の企画部に配属されました。一つは液晶テレビ、もう一つはゲーム用パソコンです。当時の液晶TVは、3インチ程度の量産化の過渡期で、試作機としてようやく10インチが展示会で発表されている段階でした。一方、ゲーム用パソコンは、黎明期で正にカオス状態でした。40年前の混沌としたゲーム業界を振り返って見ましょう。

(1)MSX規格

MSXとは、アスキーの創設者西和彦氏とマイクロソフトが提唱した8ビットと16ビットのパソコンの共通規格です。当時法人需要しか見込めなかったパーソナルコンピューターを、個人レベルで普及させることを目途としました。必要に応じてシステムを拡張できる統一規格であり、オープンアーキテクチャーのさきがけとして位置づけされます。しかしながら、画像規格が低く初心者向けとのレッテルが貼られ、専らゲームソフトの使用目的とする導入機としての位置付けでした。

(2)MSX参入メーカー

パソコン3大メーカーとしてNECのPCシリーズ、シャープのMZ/X1、富士通のFMシリーズは確固たる地位を占めていました。新しい規格にはアスキー・カシオ計算機・キャノン京セラ・三洋電機・シャープ・ゼネラル・ソニー・東芝・日本ビクター・パイオニア・日立・富士通・松下電器産業・三菱電機・ミツミ電機・ヤマハ・スペクトラビデオ(米)・マイクロソフト(米)が名を連ねました。NECはPCシリーズとの競合を避けて参入しませんでした。

(3)玩具メーカーとの攻防

玩具メーカーは独自企画のゲーム機を相次いで投入していました。任天堂のファミリーコンピューターやセガのCS3000を始めとしてバンダイ、タカラ、トミーがそれです。タカラは急進派のソード(後に東芝に吸収)をハード機として採用しました。ソードには、後にヤフー社長となる井上雅博氏やスカイマーク社長となる西久保慎一氏が所属していたパソコンの侍企業としても有名で、昭和58年のビジネスショウでは大手電機メーカーに引けを取らないブースを展開していました。

(4)ゲームソフト

MSXのソフトの供給元の代表格は、コナミでした。後の任天堂にスカウトされた伝説のゲームクリエイター岩田聡氏が所属していた札幌のハル研究所も有力なソフトハウスでした。カシオ時代にハル研究所へのソフトウェア発注の稟議書の確認作業を担当していた際に、初めてハル研究所の名を知りました。

(5)カシオ計算機による価格破壊

昭和59年カシオ計算機は、同業他社が5万円台で販売していたところに29,800円という破格のPV7を市場に投入しました。スペックは最低ラインでしたが、入門機としては十分で、市場は一気に混乱に陥りました。さらに、高機能の規格のMSX2も56年に設定されましたが、2年後には参入企業は松下電器産業のみとなりました。SX2が発売された頃は、PV7はコストダウンによるスペックへの犠牲が拡販の足かせとなり、不良在庫の積み上がりと化しました。

(6)歴史から学ぶ

ゲーム機は、ハードウェアにおける電気電子の領域に止まらず、ソフトウェアでの創造性が求められる従来の製造業の枠組みでは対応できない新しい業態です。それゆえカリスマ経営者やクリエイターを数多く排出してきました。業界を揺るがす大きな波が絶えないことから注目せざるを得ないと言えます。

《大山祇神社》「大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)」は、愛媛県の最北端、瀬戸内海のほぼ中央に位置する大三島に鎮座します。御神祭は天照大神の兄神です。

【総門】 2010年4月奉祝。二重構総檜造り銅板葺き。1322年に焼失してから688年振りに復元されたものです。

【御神木】 「乎知命(おちのみこと)御手植の楠」と呼ばれ、大山積大神の子孫「乎知命」によって植えられたものと伝えるもので、樹齢は2600年にも達します。

【狛犬】

【神門】 老朽化のため355年振りに建て替えられ、2016年12月竣工式が行われました。

【拝殿】 切妻造り檜皮葺き、唐破風付き向拝。室町時代の1427年に再建されました。

【注連縄】

【神紋】

【天然記念物 雨乞の楠】 日本最古の楠で樹齢3000年

【門幕】