曽我兄弟の仇討ちは、建久4年5月に源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件です。赤穂浪士の討ち入りと伊勢越えの仇討ちに並び、日本三大仇討ちの一つで、武士社会において仇討ちの模範とされていました。

曽我兄弟は関東から九州にかけて14か所の墓所があるそうで、元箱根の石仏群にある五輪塔もその一つです。左2基は兄弟のもので、右の1基は兄十郎の妾であった虎御膳の墓で永仁3年(1295年)に地蔵信仰の一つとして建てられたものと言われています。

さて、曽我兄弟の墓とされるものの中で有力とされるものは、曽我の里(小田原市曽我谷津)と呼ばれる一帯にある城前寺が挙げられます。最初に元箱根の石仏群を興味に感じたきっかけは、この曽我兄弟の墓でした。

 交通機関:元箱根・箱根関所(宮ノ下経由)行きバス

乗車バス停:箱根湯本駅

下車バス停:曽我兄弟の墓

所要時間:約30分(週末は予測できません)

【五輪塔】 下から方形=地輪(ちりん)、円形=水輪(すいりん)、三角形(又は笠型、屋根形)=火輪、半月形=風輪(ふうりん)、宝珠形または団形=空輪(くうりん)によって構成されており、古代インドにおいて宇宙の構成要素と考えられた5つを象徴しています。