14代目の日産スカイラインV38型は、2027年に販売されることが発表されました。現行モデルの発売から13年も経ております。名車スカイラインを紐解くにあたりその開発元を改めて調べてみました。
開発元である「プリンス自動車工業」とは、スカイライン・グロリア・プリンスR380・ホーミー等を開発した自動車メーカーです。第二次世界大戦後の1947年に航空機製造を禁じられた旧立川飛行機の技術者たちは、東京電気自動車を立ち上げ1952年「プリンス自動車工業」に商号変更しました。一方、「冨士精密工業」は、「プリンス自動車工業」にエンジンを供給した中島飛行機東京製作所と浜松製作所を母体とします。全株式を日本興業銀行が保持していましたが、自動車製造に反対であった日本興業銀行は全株式をブリヂストン創業者である石橋正二郎氏に譲渡しました。営業力強化のため、「プリンス自動車工業」と「富士精密工業」は1954年に合併しました。ところで、「プリンス自動車工業」は、大衆車を持たずスカイライン・グロリア等のスポーツカーを中心とした車種で構成され業績は芳しくありませんでした。また、ブリヂストンも率いる石橋正二郎氏は、タイヤの供給先が「プリンス自動車工業」に限定されることを憂慮し、他の自動車産業との協業が求められました。住友銀行は「プリンス自動車工業」の社長に専務を送り込みトヨタ自動車との併合を試みられましたが失敗に終わり、通商産業省による自動車業界再編の行政指導もあって、1966年に「日産自動車」と合併して20年の歴史に幕を閉じました。
「プリンス自動車工業」のモータースポーツにおける歴史は、1963年鈴鹿で行われた第1回日本グランプリに2代目スカイラインとグロリアで参戦して惨敗したのが皮切りです。石橋正二郎氏の命により翌年の第2回日本グランプリでは、スカイラインGТが開発されました。グロリアに搭載されていた6気筒エンジンを4気筒エンジンルームのスカイラインに換装し、当時の国産車で最高タイムを記録するに至りました。この際にポルシェ904GТSを7周目のヘアピンで抜き去るという偉業を成し遂げ、「羊の皮を着た狼」という称号が与えられました。さらに1966年の第3回日本グランプリでは、アルミボディのプリンスR380を開発し、ポルシェ906を破って見事に優勝しました。モータースポーツの黎明期は、プリンス自動車がその中核を担っていました。
多くの若人の憧れの的であったスカイラインは、自動車産業を語る上でも外せない名車の一台です。今後の動向には目が離せません。
≪岩手県宮古湾の朝≫
太平洋沿岸は日の出の撮影ポイントとなります。撮影場所の海面から一定の高さにより見える絵が大きく変わります。

【ご来光】旅先での楽しみの一つは朝陽です。

【宮古湾の遠景①】南に目を向けると、正面に浄土ヶ浜が見えます。

【宮古湾の近景①】大小さまざまな海鳥が回遊しています。

【宮古湾の遠景②】北はリアス式海岸が続きます。隣の田老港でしょうか。

【宮古湾の近景②】東北の深い群青色の海。

【宮古湾の遠景③】東の海は大きく静かに広がっています。
