書店の丸善の話が出た際に「レモンを置いてみましょうか」と早稲田大学理工学術院教授が言い、出版社社長と一緒に笑っているのに、私は笑えなかったことがあります。意味が分からなくてとっさに反応できなかったのです。梶井基次郎の『檸檬』を読んでいなかったのが原因でした。慌てて本を買って読みましたがあとの祭りです。
自分の無知無教養のせいで恥ずかしい思いをしたことが何度もあります。みなさん優しいので「え、そんなことも知らないの?」などと無慈悲なことは口にしません。しかし、あきれたに違いありません。
無知蒙昧は一瞬でバレてしまいます。
いろいろな分野での知識や教養がそれなりに必要なことが世の中にはけっこうたくさんあります。例えば――。
「ガウディの家はタンスが置き難そう」(2016年4月3日付『毎日新聞』の「仲畑流万能川柳」から)を読んで、「確かに」と笑えるかどうか。スペインのバルセロナにあるサグラダ・ファミリアくらいが浮かばなければ笑えません。過激組織「イスラム国」が主張する「米国とロシアとの戦いはイスラム教徒にとって十字軍との戦いだ」の意味が分かるためには、世界史の基本が必須です。
仕事でも無知無教養は害になります。上司が部下に仕事を指示したのに部下が首をかしげたり反応が悪かったり動かなかったりする場面を見たことはありませんか。もしかするとそれは上司の指示が非論理的だったり非現実的だったりした可能性があります。
私は自分の無知無教養を何とかして少しでも挽回したいと私は思ってきました。知ることが“武器”になるにもかかわらず、私は知らないことが多すぎると気づいたからです。
どうすれば少しでも「知」を増やすことができるのか。名案があるわけではありませんが、悩みの共有とでも申しましょうか、私と同じような悩みを抱えている人のためにこれから書いていきます。
なお、知識や教養、あるいはリベラルアーツという言葉はそれぞれ意味が違います。これらをひっくるめて私はここで「知」と呼ぶことにします。
(文責:ジャーナリスト 西野浩次)