「あんた、映画を全然見てないわね」
取材を始めて数分経ったころ、淀川長治さんに呆れられた。当時の私は20代後半、『サンデー毎日』記者だった。映画をほとんど見ていない私が映画評論家・淀川さんの取材に行くこと自体申し訳ないのだが、取材に行くと決まってから慌てて映画を見ても間に合わない。それに当時の私は「現実社会を扱う仕事をしているんだから、人間の頭で考えた作り物の映画を見てもなぁ」などと不遜なことを思っていた。
50代の今、映画をもっと見ておくべきだったと悔やむ。せっかく淀川さんが呆れてくれたのだから、あの時に全く興味を持っていなかった映画に目を向ける好機だったのに、私は生かせなかった。
映画は文学と同じである。人間の頭で考えた作り物の世界ではあるけれど、自分がもしかしたら経験したかも知れない未知の世界を想像し、仮想体験できる希少な場だ。素晴らしい映画は感動や刺激を与えてくれるばかりか、時には生き方にまで影響を及ぼす。
映画は教養の1つと言っていいだろう。映画の話が全くできないと教養がないということと同じ意味になる。映画が仕事に直接役に立つことは一般的にあまりないだろう。しかし仕事相手が映画の話を持ち出した時に全く応じられないようではお里が知れる。
映画を見ようとすれば決まった時間に決まった場所に行かなければならない。咳をするのも気を使う。途中でトイレにも行けない。そんな映画館が私は苦手なのだが、本当に映画を見ようと思えばレンタルDVDを借りたりアマゾンプライムやHuluで見たりと方法はいくらでもある。
仕事に追われる毎日だが、月に映画1本見るくらいの時間をひねり出せないほど忙しいわけではない。
いい映画の選び方は新聞の映画評に頼れば迷わずに済む。たいてい週末の夕刊に載っている。まずは毎月1本映画を見ようと決めた。何と楽しいノルマであることか。
(文責:ジャーナリスト 西野浩史)