来年春にも三菱UFJフィナンシャルグループの中核である三菱東京UFJ銀行から東京銀行の名称が削除されます。合併から20年経過して東京の名前が消えますが、金融界において東京銀行は、唯一の外国為替専門銀行として独自色を有していました。また、横浜正金銀行を母体としており、今一度東京銀行の歴史を紐解いてみたいと思います。

東京銀行の前身は、明治13年に開設された横浜正金銀行です。外国為替システムが未確立で日本の不利益を軽減するよう現金で貿易決済を行うことを主たる業務としていました。横浜港の開港以降急速に国際貿易都市として発展したことから、外国為替業務の中心も横浜となっていきました。昭和13年には香港上海銀行(HSBC)を傘下に収め、中国の徴税権を得る等国内支店5店舗に対して海外拠点は実に30箇所と外国為替業務の中核をなしていました。日本の軍需に必要な外貨獲得の機関とみなされ、昭和21年にGHQの指令により閉鎖機関に指定されました。その結果として解体・清算され、外国為替専門銀行としての役割は新たに設立された東京銀行に引き継がれました。

なお、旧横浜正金銀行本店は明治37年に落成し、現在は神奈川県立歴史博物館となっています。(横浜の三塔には含まれていません)

 旧東京銀行本店は、日本銀行本店の隣に位置しており、この銀行が通常の商業銀行とは異なることを示していました。便宜上都市銀行として扱われBANCSに参加するものの、日本興業銀行(現みずほ銀行)・日本長期信用銀行(現新生銀行)・日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)・農林中央金庫・商工組合中央金庫と並んで金融債の発行が許可される等特殊な立ち位置でありました。三菱銀行と合併するまでは、日々の為替レートは東京銀行による公表レートによっており、多くの金融マンにとって思い出深い金融機関と言えます。

その東京銀行も平成8年4月に三菱銀行により実質的な吸収合併という形で消滅しました。合併後の初代頭取は東銀出身者でしたが、その後東銀出身者による頭取の就任はなく、合併行で見られる襷がけ人事は行われていません。

平成30年3月末まで改修工事のため閉館です。横浜市中区には、歴史的建造物が数多くありますが、なかなか見て回ることがありません。

3行併記した事例は、太陽神戸三井銀行がありますが、確かに長いですね。振込依頼書への記入は本当に面倒です。